上海・ジェリー藤尾の家
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投稿no.263
投稿者:
井上@打浦橋@上海
2008年11月10日
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これは、おまけです。 朝日新聞の土曜版に「うたの旅人」と言うシリーズがあるらしいんですが、11月8日の土曜版は上海が取り上げられたらしいです。 この日の旅の主役はジェリー・藤尾で、題名は『「魔都」から帰ってきた少年」です。 あのジェリー・藤尾は上海生まれだったんですね。いや、ミッキー・カーチスが上海生まれで、上海で育ったと言うことは知っていました。その話は景山民夫が書いた小説「チュウチュウ・トレイン」で読んだんですが、ジェリー・藤尾も、上海生まれだったというのは、初めて知りました。 では、その記事をまるまる殆ど紹介します。以下は、知り合いが打ち込んだものをコピペしたものです。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 上海では「フランス租界のアパートの4階全部を借り切っていました。中国人のメードさんが2人いて。父はNHKのアナウンサーでした」と話す。 戦前、上海の日本人は、イギリスやアメリカが支配する共同租界の虹口に集中して住んでいた。フランス租界は高級住宅地で、日本人住民は、大会社の幹部か富裕層に限られていた。 「でも、戦況の悪化からなんでしょう、後には貧民街のようなところを転々としました。メードさんをしっかり引き連れて」とジユリーさんは笑う。 すし詰めの引き揚げ船。「あいのこ」とはやされ、いじめられた。日本になじめなかった母はアルコール中毒で死亡。上海は苦い体験につながり、思い出したくない土地だった。 「上海帰りのリル」は長い間歌わなかった。わだかまりが解け、自分が生まれた場所を訪ねる気になったのは4年前。 だが、現地案内人は「租界のこともよく知らなかった」。むなしく帰る。ジユリーさんの記憶にあるそこは、コロンビア・アパートといい、こんどの取材では案外簡単に見つかった。36年に完成し、確かに4階建て。古びてはいるが、水色に塗装された外観は、いまも風格を失っていない。近隣は高級住宅地の中でもとびきりの地区で、アパートのすぐ裏は広大な屋敷。元の持ち主は、杜月笙だ。戦前中国の最大稀密結社・青幇の大ボス。アヘン売買、売春、賭博、暗殺、あらゆる犯罪を手がける一方、銀行家としても成功、表の世界でも顔役だった。 上海師範大学蘇智良教授(52)によると、フランス租界は「フランスの国民性なのか、自由で管理がゆるく、国民党、共産党、やくざが入り乱れて暗躍する湯になっていた。やくざのボスが数十人、邸宅を構えていた」という。高級住宅地の裏面である。 「うちの父も、謀略放送に関係していたのかなあ」とジェリーさんは近ごろ思う。アパート、メード、英語以外しゃべらない家庭。そう考えると、つじつまが合う。だとすると、「魔都」と呼ばれた上海の怪奇な構造に幼時から組み込まれていたことになる。 コロンビア・アパートの1階は今、果物屋、文具店、雑貨屋、魚靂が入居し、魚屋に「閘蟹」の看板があったりプラタナスの並木を抜ける風が冷気を帯び、街は日本で「上海ガニ」というその名物料理の季節に入っていた。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ コレ読みますと、ジェリーさんが上海生まれだったことを長い間、表立っては口に出さなかったと言うのが、よく分りますね。 彼の一家は、上海の日本人の中でも相当レベルの高い位置にあったんでしょう。 当時、上海には10万人の日本人が住んでたらしいですが、90%以上、いや、もっとかな・・・の人は、虹口地区に住んでたらしいですね。フランス租界から見れば川向こうの世界と言ったところでしょう。いや、それは、虹口に住む日本人にとってもフランス租界は別世界だったはずで、ガーデンブリッジを渡って英米共同租界や、フランス租界に行くと言うのは、相当特別のことだったらしいです。ましてや、フランス租界に住むとなったら、コレは、もう、位の高い日本人だったということなんでしょう。いや、正に、諜報活動をするような人でないと、住めないところだったのかもしれません。 私の大学の先輩のM黒さん一家も、フランス租界に住んでいたらしいです。彼の父親は、大阪外語大(だったか?)で、フランス語の教授やっていたらしいんですが、軍を批判して、首になり、フランスのガス会社に拾われ、上海の、その会社の経理かなんかになったそうです。そして一家で住んだのがフランス租界だったそうです。 また、当時、上海で活躍してましたマヌエラさんも、その自伝「上海ラプソディー」で、虹口なんて大っ嫌い、日本そのものだから、と書いてます。 そして、彼女は、いつか自分もレベルアップしてフランス租界に住むんだと言う強い志しのもと、その夢を果たしています。相当頑張らなければ住めなかったところなんでしょう。 この記事に、当時の上海の裏社会ばかりでなく表社会の顔役であった杜月笙と言うのが出てきますが、こういうのは、今の上海でいるのかも知れません。 そうそう、「上海タイフーン」にも、そんな人が出てきましたね。車椅子の謎の老人です。 さて、ジェリー・藤尾が住んでいたと言うコロンビア・アパートはスグ分りました。 杜月笙の広大なお屋敷の近く、ってので、スグ分りました。 杜月笙関連ですと、寧海西路と紹興路もそうなんですが、まず東湖賓館だなと、ピピピと来ました。 そして「上海歴史ガイドマップ」を見ましたら、果たしてありました。 更に、城市ロ巴で、建物を確認しましたら、水色の4階建ての建物でしたので、まず、ココに掲げた建物で間違いないでしょう。 この建物は延慶路沿いにあります。延慶路と言えば「上海タイフーン」にもバッチリ出てきました。 |
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旅行ブログ読ませていただきました!感動〜〜!!
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調査、本当にご苦労さまでした(^。^)
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