
“会”huì “能”néng (魯 暁琨) ~ 【相原茂:監修】 「どうちがう?似たものことば」(41)

「似ているけど、使い方はどう違うの?」中国語の専門家達が類義語に関する話をわかりやすく
解説しています。相原茂先生監修のコラムです!
目 次
●第41回
“会” と“能”はともに可能を表す助動詞であり、日本語の「~デキル」に訳すことができる。両方とも
同じ「~デキル」にあたるから、日本人にとっては、その使い分けが相当難しい。“能”を使うべきところ
を間違えて“会”を使ったり、またその逆な場合もある。例えば、
(1)*司机病了,今天不会(○能)开车。
(2)*他会(○能)喝白酒。
(3)*今天我不会(○能)上您的课,我要去企业实习。
(4)*我不能(○会)打篮球,你能教我吗?
このような誤りが多くみられるのは学習者が「~デキル」にあたる“会” と“能”の意味と用法の違いが
はっきりと分かっていないからだと思う。
(一)“会” と“能”の使い分け
“会”と“能”にはその意味と用法において重なったところがあるが、まずその重複部分は考えないで、
下記の分け方で“会”と“能”の違いを覚えよう。
1.「技能があってデキル」
単に技能の有無を言うだけならば、肯定形は“会”、否定形は “不会”を用いて表す。
(5)あなたは車を運転できますか?
你会开车吗?
Nǐ huì kāi chē ma?
(6)彼は泳げません。
他不会游泳。
Tā bú huì yóuyǒng。
(7)人間は考える動物である。(人間は考えることができる動物である。)
人是会思考的动物。
Rén shì huì sīkǎo de dòngwù。
(8)子供は話せるようになった。
孩子会说话了。
Háizi huì shuōhuà le。
2.「技能が回復し、またはある一定のレベルに達していてデキル」
“会”はある種の技能を有しているということを表現しているだけであり、「一旦失われた技能の回復」
やまたその技能が「ある一定のレベルに達している」ことは、“能”のみで表し、“会”を用いることはでき
ない。否定形は“不能”を用いて技能の一時喪失やまたその技能が「ある一定のレベルに達していて
いない」ことを表す。
(9)お母さんは病気が治り、歩けるようになった。
我妈病好了,能走路了。
Wǒ mā bìng hǎo le,néng zǒulù le。
(10)彼はお酒を飲んだから、運転ができない。
他喝酒了,不能开车。
Tā hē jiǔ le,bù néng kāi chē。
(11)彼は500m泳げる。
他能游五百米。
Tā néng yóu wǔ bǎi mǐ?
(12)彼は“白酒”を飲めない。
他不能喝白酒。
Tā bù néng hē bái jiǔ。
これで例(1)(2)が誤りである理由が理解できよう。
3.技能以外の条件が備わって(技能も含まれてもいい)デキル。
技能以外の条件が備わって、あることができると言う場合は“能”のみで表し、“会”を用いることが
できない。否定形は“不能”を用いて表す。たとえば、
(13)週末にテニスができますか。
周末你能打网球吗?
Zhōumò nǐ néng dǎ wǎngqiú ma?
(14)私は明日授業に来られません。
我明天不能来上课。
Wǒ míngtiān bù néng lái shàng kè。
(13)“打网球”は技能が必要だが、この文は技能があることを前提に、他の条件が備わっているかに
ついて尋ねているのだ。(14)“来上课”は技能条件が必要なく、時間とか健康状態などの他の条件
が必要なので、その条件が一つでも足りないと、授業に来られないことになる。このような場合は“能”
のみ用いる。また、人や動物ではなく、物の用途と事の役割を言うとき、迷わず“能”を用いる。
たとえば、
(15)この薬であなたの病気を治すことができる。
这种药能治好你的病。
Zhèi zhǒng yào néng zhì hǎo nǐ de bìng。
(16)10元で魚を500グラム買える。
10块钱能买一斤鱼。
Shí kuài qián néng mǎi yì jīn yú。
これで例(3)が誤りである理由が理解できよう。
(二)“会”と“能”の弁別
以上の分け方によって「~デキル」が技能に関わらない場合は迷わず“能”を用い、技能に関わる
場合でも単に技能の有無を言う場合だけ“氏”を用い、それ以外は全部“能”を用いていいというこ
とをはっきりさせた。便宜上、下表で示す。
上記の分析で表にある“能”を“会”に換えてはいけないことが分かった。つまり、“能”を“会”に換える
言い方が存在しないということだ。反対に“会”を“能”に換えられるのかについては、前文では触れな
かったが、実は“会”を“能”に換えた言い方が成立する。これこそ両者の紛らわしいところで、弁別す
る必要がある。構文においては“会”を“能”に 換えられる場合、意味においては二分類ができる。
A類
B類
A類“会”と“能”は意味範囲において違いがある。“会”は単純に技能の有無を言うだけだが、“能”
の意味は広いので、“能”を用いると技能以外の意味が生じてしまう。
例えば、“你会开车吗?”を“你能开车吗?”とすると、「車を運転する」技能の有無を尋ねているだけ
でなく、(本人の)肉体的能力(今日は運転に耐えられるか)など他の要因についても質問することに
なってしまう。“他不会打网球”を“他不能打网球”とした場合も同様で肉体的能力や時間がなくて
「~デキナイ」を表すのみならず、彼はお医者さんからテニスは禁止されているということも表現する
ことが可能である。
従って、こういった状況においては、単に技能の有無を言うだけならやはり“会”しか用いないが、技能
があることを前提に他の要因を焦点に当てるときは“能”を用いる。
これで例(4)が誤りである理由が理解できよう。
B類は“会”を“能”に言い換えても意味がかわらなく、ここだけは“会”と“能”が重なっているとこ
ろだ。なぜ、B類は“会”を用いても“能”を用いても意味がかわらないのか。それは“说汉语”、“写诗”、
“表演节目”のような行為は技能しか必要がなく、つまり技能以外の条件が必要ではないからだ。
従って“会”を“能”に言い換えても技能しか表さないのだ。
ここではA類とB類をどうやって区別をつけるのかという問題が生じるわけだが、実は学習者としては、
この区別を考えなくてもいい。私の調査と統計によると、A類とB類の比率は10:1で、つまりB類の
ように“会”を“能”に言い換えられるケースは極めて少ないことがわかった。
たとえ言い換えられても単純に技能の有無を言うときは“能”を用いなく、“会”のみ用いればいいわけだ。
つまり、単純に技能の有無を言うときは“会”を用いれば、余計な意味が生じる心配はなく、無難だ。
このような理由から(一)のように“会”と“能”の使い分けをまとめた。
(三)動作によって意味が変わる“会”と“能”
この他に、中国語の“会”と“能”は同一範囲において、次のような対比を示す。例えば、
「(食の)グルメである」:“会吃huì chī”
「弁が立つ/話が上手い」:“会说huì shuō”
「買物が上手い」:“会买东西huì mǎi dǒngxi”
「仕事の要領がいい」:“会干huì gàn”
「(学生が)試験の要領がいい」:“会考试huì kǎoshì”
「よく食べる」:“能吃néng chī”
「よくしゃべる/話し好きだ」:“能说néng shuō”
「沢山物を買う」:“能买东西néng mǎi dǒngxi”
「よく働く」:“能干néng gàn”
「(先生は)よく試験をする」:“能考试néng kǎoshì”
この時の“会”と“能”は日本語「~デキル」に訳すことはできない。“会”は「技能において優れている」、
“能”は「行為の量が多い」ことを表している。例にある“吃”、“说”、“买”、“干”、“考试”等の動作
は一つの共通点があり、つまり、だれでもできる動作だ。だれでもできる動作だから、技能の有無は
問題にならず、その動作の前に“会”を用いると「技能のセンスがよい」,つまり「テクニックに優れている」
ことを、“能”を用いると動作の量が多いという意味を表すことになった。
【参考文献】
『謎解き中国語文法』相原茂,1997年,講談社
≪现代汉语基本助动词语义研究≫鲁晓琨,2004年,中国社会科学出版社
(執筆:魯 暁琨)
相原 茂: 東京教育大学修士課程修了。明治大学助教授、お茶の水女子大学教授を経て、
現在中国語教育の第一人者として活躍中。NHK中国語講座を長年担当。
中国語コミュニケーション能力検定(TECC)を実施している中国語コミュニュケーション協会代表。
『はじめての中国語』『 Why?にこたえるはじめての中国語の文法書 』『 中国語空耳ワールド 』等、著書多数。
●相原 茂ホームページ:

中国語コミュニケーション能力検定(TECC)
解説しています。相原茂先生監修のコラムです!
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●第41回
“会” と“能”はともに可能を表す助動詞であり、日本語の「~デキル」に訳すことができる。両方とも
同じ「~デキル」にあたるから、日本人にとっては、その使い分けが相当難しい。“能”を使うべきところ
を間違えて“会”を使ったり、またその逆な場合もある。例えば、
(1)*司机病了,今天不会(○能)开车。
(2)*他会(○能)喝白酒。
(3)*今天我不会(○能)上您的课,我要去企业实习。
(4)*我不能(○会)打篮球,你能教我吗?
このような誤りが多くみられるのは学習者が「~デキル」にあたる“会” と“能”の意味と用法の違いが
はっきりと分かっていないからだと思う。
(一)“会” と“能”の使い分け
“会”と“能”にはその意味と用法において重なったところがあるが、まずその重複部分は考えないで、
下記の分け方で“会”と“能”の違いを覚えよう。
1.「技能があってデキル」
単に技能の有無を言うだけならば、肯定形は“会”、否定形は “不会”を用いて表す。
(5)あなたは車を運転できますか?
你会开车吗?
Nǐ huì kāi chē ma?
(6)彼は泳げません。
他不会游泳。
Tā bú huì yóuyǒng。
(7)人間は考える動物である。(人間は考えることができる動物である。)
人是会思考的动物。
Rén shì huì sīkǎo de dòngwù。
(8)子供は話せるようになった。
孩子会说话了。
Háizi huì shuōhuà le。
2.「技能が回復し、またはある一定のレベルに達していてデキル」
“会”はある種の技能を有しているということを表現しているだけであり、「一旦失われた技能の回復」
やまたその技能が「ある一定のレベルに達している」ことは、“能”のみで表し、“会”を用いることはでき
ない。否定形は“不能”を用いて技能の一時喪失やまたその技能が「ある一定のレベルに達していて
いない」ことを表す。
(9)お母さんは病気が治り、歩けるようになった。
我妈病好了,能走路了。
Wǒ mā bìng hǎo le,néng zǒulù le。
(10)彼はお酒を飲んだから、運転ができない。
他喝酒了,不能开车。
Tā hē jiǔ le,bù néng kāi chē。
(11)彼は500m泳げる。
他能游五百米。
Tā néng yóu wǔ bǎi mǐ?
(12)彼は“白酒”を飲めない。
他不能喝白酒。
Tā bù néng hē bái jiǔ。
これで例(1)(2)が誤りである理由が理解できよう。
3.技能以外の条件が備わって(技能も含まれてもいい)デキル。
技能以外の条件が備わって、あることができると言う場合は“能”のみで表し、“会”を用いることが
できない。否定形は“不能”を用いて表す。たとえば、
(13)週末にテニスができますか。
周末你能打网球吗?
Zhōumò nǐ néng dǎ wǎngqiú ma?
(14)私は明日授業に来られません。
我明天不能来上课。
Wǒ míngtiān bù néng lái shàng kè。
(13)“打网球”は技能が必要だが、この文は技能があることを前提に、他の条件が備わっているかに
ついて尋ねているのだ。(14)“来上课”は技能条件が必要なく、時間とか健康状態などの他の条件
が必要なので、その条件が一つでも足りないと、授業に来られないことになる。このような場合は“能”
のみ用いる。また、人や動物ではなく、物の用途と事の役割を言うとき、迷わず“能”を用いる。
たとえば、
(15)この薬であなたの病気を治すことができる。
这种药能治好你的病。
Zhèi zhǒng yào néng zhì hǎo nǐ de bìng。
(16)10元で魚を500グラム買える。
10块钱能买一斤鱼。
Shí kuài qián néng mǎi yì jīn yú。
これで例(3)が誤りである理由が理解できよう。
(二)“会”と“能”の弁別
以上の分け方によって「~デキル」が技能に関わらない場合は迷わず“能”を用い、技能に関わる
場合でも単に技能の有無を言う場合だけ“氏”を用い、それ以外は全部“能”を用いていいというこ
とをはっきりさせた。便宜上、下表で示す。
| 会 | 能 |
| 我会游泳。 | 我病好了,能游泳了。(技能回復) 我能游五百米。(技能レベル) 我今天能游泳。(時間条件) 我们在学校能游泳。(場所条件) 我能参加游泳比赛。(すべての条件) 你能教我游泳吗?(すべての条件) |
上記の分析で表にある“能”を“会”に換えてはいけないことが分かった。つまり、“能”を“会”に換える
言い方が存在しないということだ。反対に“会”を“能”に換えられるのかについては、前文では触れな
かったが、実は“会”を“能”に換えた言い方が成立する。これこそ両者の紛らわしいところで、弁別す
る必要がある。構文においては“会”を“能”に 換えられる場合、意味においては二分類ができる。
| 我会游泳。 你会开车吗? 他不会打网球。 | 我能游泳。 你能开车吗? 我不能打网球。 |
| 我会说汉语。 他还会写诗呢。 他不会自己表演节目。 | 我能说汉语。 他还能写诗呢。 他不能自己表演节目。 |
A類“会”と“能”は意味範囲において違いがある。“会”は単純に技能の有無を言うだけだが、“能”
の意味は広いので、“能”を用いると技能以外の意味が生じてしまう。
例えば、“你会开车吗?”を“你能开车吗?”とすると、「車を運転する」技能の有無を尋ねているだけ
でなく、(本人の)肉体的能力(今日は運転に耐えられるか)など他の要因についても質問することに
なってしまう。“他不会打网球”を“他不能打网球”とした場合も同様で肉体的能力や時間がなくて
「~デキナイ」を表すのみならず、彼はお医者さんからテニスは禁止されているということも表現する
ことが可能である。
従って、こういった状況においては、単に技能の有無を言うだけならやはり“会”しか用いないが、技能
があることを前提に他の要因を焦点に当てるときは“能”を用いる。
これで例(4)が誤りである理由が理解できよう。
B類は“会”を“能”に言い換えても意味がかわらなく、ここだけは“会”と“能”が重なっているとこ
ろだ。なぜ、B類は“会”を用いても“能”を用いても意味がかわらないのか。それは“说汉语”、“写诗”、
“表演节目”のような行為は技能しか必要がなく、つまり技能以外の条件が必要ではないからだ。
従って“会”を“能”に言い換えても技能しか表さないのだ。
ここではA類とB類をどうやって区別をつけるのかという問題が生じるわけだが、実は学習者としては、
この区別を考えなくてもいい。私の調査と統計によると、A類とB類の比率は10:1で、つまりB類の
ように“会”を“能”に言い換えられるケースは極めて少ないことがわかった。
たとえ言い換えられても単純に技能の有無を言うときは“能”を用いなく、“会”のみ用いればいいわけだ。
つまり、単純に技能の有無を言うときは“会”を用いれば、余計な意味が生じる心配はなく、無難だ。
このような理由から(一)のように“会”と“能”の使い分けをまとめた。
(三)動作によって意味が変わる“会”と“能”
この他に、中国語の“会”と“能”は同一範囲において、次のような対比を示す。例えば、
「(食の)グルメである」:“会吃huì chī”
「弁が立つ/話が上手い」:“会说huì shuō”
「買物が上手い」:“会买东西huì mǎi dǒngxi”
「仕事の要領がいい」:“会干huì gàn”
「(学生が)試験の要領がいい」:“会考试huì kǎoshì”
「よく食べる」:“能吃néng chī”
「よくしゃべる/話し好きだ」:“能说néng shuō”
「沢山物を買う」:“能买东西néng mǎi dǒngxi”
「よく働く」:“能干néng gàn”
「(先生は)よく試験をする」:“能考试néng kǎoshì”
この時の“会”と“能”は日本語「~デキル」に訳すことはできない。“会”は「技能において優れている」、
“能”は「行為の量が多い」ことを表している。例にある“吃”、“说”、“买”、“干”、“考试”等の動作
は一つの共通点があり、つまり、だれでもできる動作だ。だれでもできる動作だから、技能の有無は
問題にならず、その動作の前に“会”を用いると「技能のセンスがよい」,つまり「テクニックに優れている」
ことを、“能”を用いると動作の量が多いという意味を表すことになった。
【参考文献】
『謎解き中国語文法』相原茂,1997年,講談社
≪现代汉语基本助动词语义研究≫鲁晓琨,2004年,中国社会科学出版社
(執筆:魯 暁琨)
相原 茂: 東京教育大学修士課程修了。明治大学助教授、お茶の水女子大学教授を経て、
現在中国語教育の第一人者として活躍中。NHK中国語講座を長年担当。
中国語コミュニケーション能力検定(TECC)を実施している中国語コミュニュケーション協会代表。
『はじめての中国語』『 Why?にこたえるはじめての中国語の文法書 』『 中国語空耳ワールド 』等、著書多数。
●相原 茂ホームページ:
中国語コミュニケーション能力検定(TECC)







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